小さな駅
そこは改札さえもない寂しい駅だった。剥がれかけたモルタルの駅舎が積年を今に伝え、人気のない待合室が乗客の少なさを物語る。けれど想像してほしい、たとえ一日に一人が使うとしても一年で365人、10年で3650人が使うことになるのだ。そしてこの田舎の駅でさえもそれより遥かに多い人々が日々使っているのだ。
ほら、列車の到着時刻が近づいてくる。おじいさんやおばあさん、幼子を抱いたお母さんが駅に入ってきて待合室を素通りしてホームへ出ていく。今日の列車はわずかに遅れているようだ。たとえ数時間に一本だとしても、人々は未だに列車を忘れてはいない、駅を忘れてはいない。
ここから旅立っていった無数の若者たちの姿を駅は忘れてはいない。そして彼女や伴侶を連れ帰ってきた彼らの姿をこの駅は未だに覚えている。今、母の両腕に抱かれている少年が将来再びこの駅から旅立っていくだろう。何十年と繰り返されたサイクルをこの駅は朽ち果てるまで覚え続けている。この駅がこの街の入り口であり出口なのだから。